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もうすぐ大暑です。暑中見舞いと茶道の「夏は涼しく」のこと

暦を見ていたら、もうすぐ大暑だと気づきました。今年は7月23日からだそうです。

「暑気いたりつまりたるゆえんなればなり」と昔から言うのですね。暑さが一番厳しくなる頃、という意味だと本で読みました。なるほど、と思いました。

大暑は夏の土用とも重なるのだそうです。土用の丑の日が近づくと、スーパーの店先も少し賑やかになりますね。暑中見舞いは、この大暑までに出すのが作法だと聞いて、あわてて葉書のことを思い出しました。

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昔は筆で書いていました

お稽古を始めたばかりの頃、暑中見舞いは筆で書くものでした。お仲間の顔を思い浮かべながら、墨をすって一枚一枚。今考えると、よくあんな時間をかけていたなと思います。

義母からは「お手紙は相手の顔を思いながら書くものです」と度々言われていました。その時は正直、面倒だなと思うこともありました。今になって、あの言葉の意味が少しずつわかってきた気がします。

今はパソコンで住所録を作ってしまって、少し味気ない気もします。それでも一言だけは手で書くようにしています。せめてもの、という気持ちです。

お稽古仲間の中には、毎年決まって季節の便箋を選ぶ方がいます。今年はどんな柄だろうと、届くのを楽しみにしています。葉書一枚のやりとりですが、こういうものは長く続けてこそ意味があるのだと思います。

文面は毎年ほとんど同じなのに、書くたびに少し違う気持ちになります。今年は膝のことがあったので、心配をかけないよう、明るい一言を添えるつもりです。

「夏はいかにも涼しきように」

利休七則のひとつに「夏はいかにも涼しきように」という教えがあります。冬は暖かく、夏は涼しく。当たり前のようで、これがなかなか難しいのです。

この時季のお稽古では、葉蓋や洗い茶巾が出てまいります。平茶碗に水を張って、涼やかに扱う。見た目にも涼しく感じられるようにと工夫された点前だと、教わったことを思い出します。

クーラーもなかった時代の茶人たちが、風鈴やすだれ、金魚鉢といった道具立てで、五感から涼を呼び込んでいたと知って、なんとも風流だと思いました。今は機械でいくらでも涼しくできますが、それでもこうした工夫を大切にしたいと思います。

義母のお稽古では、この時季になると打ち水を欠かしませんでした。玄関先にさっと水をまくだけで、空気が変わります。見た目の涼しさというのは、案外こういう小さなことから生まれるのかもしれません。

茶碗も平たいものに替わります。口が広い分、湯気がすぐに逃げて、お茶が早く冷めます。夏らしい景色だなと、いつも思いながら扱っています。まだ手つきがぎこちない時もありますが、少しずつ慣れてきました。

膝と庭と、この夏

今年は膝のこともあって、庭の草取りもゆっくりとしかできません。以前のようにたっぷり時間をかけることはできませんが、それでも窓から庭を眺めるだけで、少し涼しい気持ちになります。

水やりの時だけ、ゆっくり外に出ます。それだけでも十分だと、この頃は思うようになりました。無理に元気に動き回らなくても、涼を感じる方法はいろいろあるのだなと、教えられている気がします。

去年までなら、この時季は朝のうちに庭に出て、汗をかきながら草を引いていました。今年はそれができません。最初は少し寂しく思っていましたが、この頃は考え方が変わってきました。

できないことを数えるより、できることを大事にする。お医者様からは一生違和感が残ると言われましたが、手術前より少し楽になったのも確かです。車でゆっくり出かけられるだけでも、ありがたいことだと思うようになりました。

大暑が来る前に、暑中見舞いを何枚か書いておこうと思います。あとは道具を涼しくしつらえて、お稽古仲間を迎える準備をしようと思います。

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