先日、新聞のこよみ欄をぼんやり眺めていたら、七十二候が変わったと書いてありました。
「蓮始開(はすはじめてひらく)」。
七月十二日ごろからだそうです。
読み方も意味も、恥ずかしながらすぐには出てきませんでした。気になって、少し調べてみることにしました。
こういう小さな言葉に足を止めるようになったのは、いつ頃からでしょうか。若い頃はただ通り過ぎていた暦の文字が、この歳になると妙に気になります。
蓮の花が咲きはじめる頃だそうです
二十四節気でいうと、「小暑」の次候にあたるのだそうです。蓮の花が咲きはじめる時期、という意味なのだと知りました。
うちの庭に蓮はありません。でも、ご近所のお寺の池には、毎年この時季になると大きな葉が広がって、ぽつりぽつりと花が咲きます。
今年はまだ様子を見に行けていませんが、そろそろ咲いているかもしれません。膝がまだ本調子ではないので、遠くまでは行けませんが、お寺までなら車でゆっくり行けそうです。近いうちに、様子を見てこようと思います。
一日で閉じてしまうと知って
調べていて驚いたのは、蓮の花の開き方です。朝、まだ薄暗いうちから花が開きはじめて、お昼を過ぎると閉じてしまうのだそうです。
それを三日間くり返して、四日目にはもう閉じることなく、花びらが散っていくのだと知りました。
たった三日と少し。なんだか、もったいないような、それでいて潔いような気がしました。
お稽古では「一期一会」という言葉をよく使いますが、蓮の花はまさにそれを地でいっているのですね。毎年、同じ場所に咲いているように見えても、目の前にある一輪は、その日限りのものなのだと思うと、見方が変わってきます。
水の音で涼をとるお稽古
この時季のお稽古では、平茶碗に水をたっぷり張って茶巾を絞る点前をすることがあります。しぼった水がぽたりぽたりと落ちる音を、お客さまに聞いていただくのです。
目でも耳でも涼しさを感じてもらう、という工夫なのだと、以前教えていただきました。蓮の花の話を知った今、水辺に咲く花と、水の音で涼をとる点前とが、どこかでつながっているような気がしてきます。
先日、お稽古仲間にこの話をしたら、「あら、うちの近くのお寺にも蓮池がありますよ」と教えてくれました。こういう何気ないやり取りが、お稽古の楽しみのひとつです。
亡き義母と蓮の花
義母がまだ元気だった頃、蓮の花入れを大切にしていたのを思い出します。
「蓮は仏さまのお花だから、粗末にしてはいけませんよ」
よくそう言われていました。正直なところ、その時はあまりぴんときていませんでした。
今回、蓮が泥の中から生まれて、汚れなく清らかに咲くことから「清浄無比の花」と呼ばれていると知り、義母の言っていたことが、ようやく腑に落ちた気がします。
お盆にも欠かせないお花なのだそうです。もうすぐお盆ですね。今年は義母のことを思いながら、蓮の花を眺めてみたいと思います。
短い夏の一日を大切に
膝を悪くしてから、遠出はできなくなりました。庭の草取りも、以前ほどはできません。
それでも、毎日の水やりをしながら、季節の移り変わりに気づけることは、変わらずうれしいです。
蓮の花のように、たった数日しか咲かないものもあれば、私のお稽古のように、四十五年続いているものもあります。長さは違っても、どちらも大切な時間なのだと、今回調べてみて改めて思いました。
これまでは、蓮といえば夏の景色のひとつくらいにしか思っていませんでした。でも七十二候のことを知ってからは、池のそばを通るたびに、今日はもう開いているだろうか、まだ蕾だろうかと、つい足を止めてしまいます。
ゆっくりとしか歩けない今の私には、こういう小さな楽しみが、ちょうどいいのかもしれません。
また稽古で、蓮にまつわるお話ができたらいいなと思います。

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