MENU

祇園祭の献茶祭、今年は表千家の家元様が奉仕されるそうです

先日、新聞をめくっていて目に留まった記事がありました。

祇園祭の献茶祭のことです。

今年は表千家の家元様が奉仕されるのだそうです。

膝がまだ本調子ではなく、この頃はもっぱら家でゆっくり過ごす日が続いています。庭の手入れも、以前のようにはできません。水やり程度で精一杯です。

そんな毎日の中で見つけた記事だったので、余計に心に残りました。

目次

献茶祭というお祭りのこと

調べてみると、毎年7月16日、京都の八坂神社で行われる神事なのだそうですね。

境内にある祇園神水というお水を使って、濃茶と薄茶を点て、神前にお供えするとのこと。

表千家と裏千家の家元様が、一年ごとに交代で奉仕されるのだと知り、なるほどと思いました。1946年に表千家の家元様の奉仕から始まり、1951年からは裏千家の家元様も加わられて、以来ずっと隔年で続いているのだそうです。

八十年近くも代々続いているというのは、なんだか気の遠くなるような話です。

私が生まれるよりずっと前から、こうしてお茶が神様にお供えされてきたのですね。

祇園神水というお水も気になりました。八坂神社の境内に湧く水だそうで、その水でお茶を点てるからこそ、意味があるのだろうと思います。

お水にも、それぞれ土地の力があるのでしょうね。私の稽古場のお水とは、また違う力を持っているのかもしれません。

家元様という言葉の重み

「家元様」という言葉を聞くと、いつも背筋が伸びるような気がします。

亡くなった義母は、お稽古のたびに「家元様の教えを大切に」とよく申しておりました。

正直に申しますと、若い頃の私は、その言葉の重みがよくわかっていませんでした。生意気なもので、「教えを大切に、と言われても」と思っていた時期もあります。

45年お稽古を続けてきた今になって、ようやく少しずつわかってきたように思います。

一服のお茶の向こうに、何百年も続いてきた大きな流れがあるのだということです。

神様の前でお茶を点てられる家元様のお姿を思い浮かべると、それだけで心が引き締まります。私などがいただくお茶とは、また違う重みがあるのだろうと思います。

洗い茶巾の季節に

ちょうど今頃は、お稽古でも洗い茶巾を使う時季です。

茶巾を水に浸して、茶碗の中で絞って畳み直す。あの所作を見るだけで、少し涼しくなった気がするから不思議です。

義母からは「涼を目で楽しんでいただくのですよ」と教わりました。当時はぴんと来なかったのですが、この歳になってようやく実感としてわかるようになりました。

暑い京都の神社で、家元様も涼やかにお茶を点てておられるのだろうかと、勝手に想像してしまいます。

先日の稽古で、この話を仲間にしたところ、「うちは裏千家だから、来年は私たちの番ね」と笑っておりました。

流派は違っても、同じようにお茶を大切にしている仲間がいるというのは、うれしいものです。

行ってみたいものですが

九州に住んでいる私は、残念ながら献茶祭を実際に見に行くことはできません。

それに、この春に膝を痛めてから、まだ長い距離を歩くのはむずかしい体です。6月に手術を受けて、以前より少しは楽になりましたが、遠出はまだ先のことになりそうです。

それでも、こうして記事を読んで知るだけで、なんだか嬉しい気持ちになります。

いつか膝が良くなったら、祇園祭の頃の京都を、ゆっくりと歩いてみたいものです。宵山の賑やかさも、一度でいいから見てみたい気がします。

今日は九州の小さな茶室で、いつも通りのお稽古をするだけです。

特別なことは何もありません。畳を掃き、釜に炭を入れ、いつもの道具を並べるだけです。

けれど、遠い京都で家元様が点てられるお茶に思いを馳せながら、自分の一服を大切にしようと思います。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次