今日から七十二候が「鷹乃学習(たかすなわちわざをならう)」に変わりました。
暦のサイトで目にして、ずっと気になっていました。「鷹が技を習う」という言葉の意味が、なんとも不思議で。
調べてみると、この頃、5月6月頃に孵化した鷹のヒナが、親鳥から飛び方や狩りの仕方を教わる時期なんだそうです。
旋回飛行、ホバリング、急降下。若い鷹は少しずつ行動範囲を広げながら、一つひとつ覚えていくのだとか。
親から完全に離れて独り立ちするのは、8月か9月頃だそうです。
それまでの数週間、ずっと親のそばで「習う」。
読んでいて、なんだか胸に来るものがありました。
義母のそばで覚えたこと
私も、長いこと義母のそばでお茶を習いました。
義母は表千家の先生で、それはそれは厳しい方でした。所作のひとつひとつ、見ていないようで全部見ている。「今のは違います」と静かに言われるだけで、身が縮む思いがしたものです。
鷹のヒナが親鳥の動きをじっと見て覚えるように、私も義母の点前をひたすら目で追いました。
手の動き、茶筅の扱い、お湯の量。言葉では説明してもらえないことも、見ているうちに少しずつわかってくる。
「お茶は見て覚えるものです」と、義母がよく言っていました。その時は「難しいことを言うな」と思っていましたが、今になってようやくわかります。
初めて薄茶のお点前を通しでやらせてもらった日のことを、今でも覚えています。緊張して手が震えて、茶筅を落としてしまいました。義母は何も言わずに、静かにそれを拾って渡してくれた。叱られるより、あの沈黙のほうがずっと堪えました。
45年経っても、まだわからないことばかりです。
お点前の手順は、何十回と繰り返しているのに、ふとした瞬間に迷うことがある。帛紗の畳み方、柄杓の置き方。「あれ、こうでしたっけ」と思う瞬間が、今でもあるのです。
そういう時は、義母の手元を思い出すようにしています。あの滑らかな動きを頭の中で辿ると、自然と手が動く。亡くなってから何年も経つのに、義母はまだ私に教え続けてくれているような気がします。
鷹のヒナは数ヶ月で巣立っていくのに、私のお稽古はいつまでたっても「習い中」のままで、少し笑えました。
鷹という銘のこと
茶道の道具には、さまざまな「銘」がつけられています。茶杓や棗、茶入など、優れた道具には名前が与えられ、それが後世まで伝わっていく。
鷹にまつわる銘も、いくつかあります。「鷹の羽」「鷹山」など。力強く気高いものを表す銘として、古くから使われてきました。
「一富士二鷹三茄子」という言葉があります。初夢に見ると縁起が良いとされるものの筆頭です。鷹は昔から、気高く強い生き物として人に憧れられてきたのだそうですね。
そう思うと、七十二候に「鷹乃学習」という候があること、なんとなくうれしいような気がします。あの強く美しい鳥も、最初は親に教わるところから始まるのだ、と。
窓から見える夏の空
今は膝の具合で、以前のようには動けません。手術が終わって、少しずつ良くなっていますが、まだ短時間しか外には出られないのです。
それで最近は、窓から空を眺める時間が増えました。
昨日も、青い空に白い雲がゆっくり動くのを見ていたら、ふと鷹のことを思いました。どこかであの鳥も、親について飛んでいるのかもしれない。
この七十二候の期間は、7月21日頃まで続くそうです。
次のお稽古の時、先生にこの話をしてみようと思っています。七十二候の話をすると、先生もいつも喜んでくださるので。
まだまだ習い中の私ですが、こうして暦を調べて、季節の移ろいを感じながらお茶を続けていけることが、ありがたいなと思います。

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