「この茶碗には、この棗」と、取り合わせを一組ずつ覚えられたら楽なのに、と思います。お点前にも覚えることが沢山ありますのに、道具を選ぶところでも迷う。長くお茶を続けても、ここは中々自信が持てません。
侘びた道具の取り合わせ。読み方は「わびたどうぐのとりあわせ」です。素朴な味わいや、飾りの少ない道具のよさを生かして、その席にふさわしく組み合わせることをいいます。決まった道具一式の名前ではありません。
この「決まっていない」というところが、私には難しいのです。
一つでは控えめな道具も
取り合わせは、茶碗や棗、水指などを、その席でどのようにお客様を迎えたいかを考えて選ぶことです。棗は薄茶を入れる茶器、水指はお点前に使う水を入れておく器ですね。
侘びという言葉には、十分に整いきらないものにも美しさを見いだす心があります。道具なら、土の肌や釉薬のむら、飾り気のない姿にも目を向けます。ただ、それを一つ選んだだけでは、取り合わせまでは決まりません。
表千家不審菴の説明にも、わびの美は、いくつかの道具が色や形を補い合うことで、まとまった美しさを生むとあります。道具を一つずつ見ているだけではわからないところなのですね。表千家不審菴「茶室における道具の取合せ」
たとえば、土の肌に凹凸のある茶碗のそばに、なめらかな塗りの棗を置く姿を思い浮かべてみます。土と漆では表情が違います。違うからこそ、茶碗のやわらかな形や、棗のすっきりした姿が見えやすくなるのではないでしょうか。
どれも同じ感じにそろえれば安心、とはいかないのです。覚える側としては、もう少し簡単にしてほしいですね。
覚えた組み合わせを、そのまま使いたくなります
よい取り合わせを知ると、私などは、その組み合わせを覚えておきたくなります。それなら次に迷わずに済みそうです。
けれども、茶碗と棗が同じでも、水指が変われば大きさの釣り合いが変わります。掛物や花が違えば、席で感じるものも変わるでしょう。道具の名前を覚えたことと、その席に合うかを考えることは、別にあるのですね。
侘びた取り合わせも、「この焼物には必ずこの塗物」という対応で覚えるのは難しいと思います。先ほどの茶碗と棗も、考えるための一例です。土ものと塗物なら、どれを合わせても落ち着くという意味ではありません。
私は、何が合うかを一度に決めようとするから、余計に困るのかもしれません。
茶碗の丸みに心が向いたなら、そばの道具と並んでも、その丸みがよく見えるだろうか。そのくらい具体的に考えると、少し見当がつきそうです。侘びているかどうか、大きな言葉で判定しようとするより、私には考えやすいです。
白露の風炉なら、今の一服を思って
白露の頃も、風炉の季節です。侘びた道具という言葉から、秋の終わりの寂しさばかりを思わなくてもよいですね。侘びは、ある月だけの取り合わせを指す言葉ではありません。
初秋の一服なら、私はお客様がまだ涼しさを欲しがる頃だということも、頭に置いて考えたいです。落ち着いた土の茶碗を使いたくても、その姿が重たく感じられないか。水指と並べた時にはどうだろう。侘びた感じにしたいという自分の思いだけで決めると、目の前のお客様のことが後になりそうです。
考えることが増えて、また難しくなりました。
それでも、気に入った道具のどこが好きなのかは、私にも言えそうです。土の色なのか、口の形なのか。そこを一つ確かめてから、隣に置く道具を考えてみようと思います。
白露の夕べには、そんな支度を考えながら、ゆっくり一服いただきたいです。

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