白い団子を丸めていると、大小いろいろな月が並びます。孫の小さな手では、まん丸にするのも中々難しい。それでも皿に盛れば、どれも月に見えてくるから不思議です。
十五夜が近づく頃、お茶では「月見の茶」という言葉を聞きます。月を眺めながらお茶をいただく会なのでしょうか。それとも、決まったお点前の名前なのでしょうか。
私も初めは、そこが曖昧でした。
月見の茶とは
月見の茶は、秋の月を愛でるために開く茶会や茶席のことです。「月見の茶会」「観月の茶」と呼ばれることもあります。
月を見るための一つの決まったお点前がある、という意味ではありません。月の出る時刻や空の様子を思い、掛物、花、茶碗、菓子などを取り合わせて、秋の夜を楽しみます。
茶室から月が見えることもあれば、待合や露地で眺めることもあるでしょう。雲に隠れて月が見えない夜でも、道具や菓子の中に月を感じられます。
見えない月を思うのも、月見の茶なんですね。
十五夜だけにするのでしょうか
月見といえば、十五夜を思い浮かべます。十五夜は旧暦八月十五日の夜で、その月を「中秋の名月」と呼びます。
旧暦の日付ですので、今の暦では毎年同じ日にはなりません。九月になる年もあれば、十月になる年もあります。月見の茶の日を考える時は、その年の十五夜を確かめておくと安心です。
十五夜のほかに、旧暦九月十三日の「十三夜」もあります。少し欠けた月を愛でるところが面白いですね。まん丸に満ちたものだけを美しいとしない。そこには、どこか侘びた感じもあります。
月見の茶は、十五夜当日でなければならないものでもありません。月の美しい頃に、秋の風情をいただく席と考えると、少しわかりやすいと思います。
月をどう取り合わせるのでしょう
月見の茶では、道具のどこかに月の趣を添えます。
月や雁の描かれた茶碗。兎や薄を表した棗。月の文字が入った掛物。丸い形や淡い色から、月を思わせる菓子もあります。
ただ、何もかも月にすると、少し賑やかになりすぎます。茶碗に月があるなら、棗は静かなものにする。菓子に月を見せるなら、ほかの道具は控える。その加減が難しいです。
私は季節の道具を見ると、つい、あれもこれも使いたくなります。長くお茶をしていても、取り合わせには中々自信がありません。
月は一つでよいのでしょうね。
花は薄や萩などの秋草を
月見の頃には、薄、萩、桔梗などの秋草がよく似合います。白露の頃は、昼に暑さが残っていても、夕方になると虫の音が聞こえます。花をたくさん入れなくても、薄の穂が少し揺れるだけで秋の野が浮かびます。
薄は「すすき」と読みますが、「尾花」とも呼ばれ、秋の七草の一つです。十五夜に薄を供える暮らしの習わしもありますので、月との結びつきが深い草です。
茶花は、月見らしく見せようとして作り込みすぎないほうがよいと思います。野の草が夜露を含んでいるような、さりげない姿がうれしいものです。
月が出るまでの時間も楽しみます
月見の茶は、月が出た瞬間だけのものではありません。
日が暮れて、少しずつ空の色が変わる。虫の音が近くなる。やがて月の光が庭や障子に差してくる。その移り変わる時間まで、一緒にいただくのでしょう。
明かりが強すぎると、せっかくの月が見えにくくなります。行灯や灯火を控えめにして、月の明るさを生かす趣向もあります。ただ暗ければよいわけではなく、お客様が安全に歩けることが大切です。
私は今、右ひざにまだ違和感があります。月に見とれて足元を忘れないようにしなければ。美しい趣向も、無理なく安心して楽しめてこそだと思います。
月が隠れたら、月見にならないのでしょうか
楽しみにしていた十五夜でも、雨が降ったり、雲が出たりします。
そのような夜を「雨月」や「無月」と呼ぶことがあります。月が見えないから残念でおしまい、ではありません。雲の向こうにある月を思い、雨音を聞きながら一服をいただく。見えないものへ心を寄せるところにも、月見の茶の味わいがあります。
毎年同じようには見えないから、月を待つのでしょうか。
茶会を開くほどでなくても、月を思わせる菓子を一つ選び、家でお茶を点てれば、小さな月見の茶になります。孫と丸めた少し不揃いな団子も、月の下ではきっとよいごちそうです。
今年の十五夜は、空ばかりを急いで見上げず、虫の音や萩の揺れる様子にも心を向けて、一服いただいてみようと思います。

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