「侘びた道具の取り合わせ」と聞くと、古くて地味な道具を並べることだと思いませんか?
私も以前は、色を抑え、少しくたびれた道具を選べば、それらしくなるのだろうと考えていました。けれども、侘びは古さだけではないようです。道具を一つずつ眺め、その季節、その席に似合うものを静かに組み合わせる。そこに生まれる落ち着いた景色をいうのだと思います。
白露の頃になると、昼には暑さが残っていても、夜は虫の音がよく聞こえます。風炉の季節はまだ続きますが、道具の色や姿にも、少しずつ秋の深まりを感じたくなります。
侘びた道具とは何でしょう
侘びた道具とは、華やかさや新しさを見せるより、素朴な姿や時を重ねた味わいを大切にした道具です。
土の肌が残る焼物。使い込まれて艶の落ち着いた塗物。木や竹の素直な姿。繕いのある茶碗などにも、侘びた趣を感じることがあります。
ただ、古ければよいわけではありません。汚れや傷みを、そのまま侘びと呼ぶのも違うと思います。きちんと手入れをされ、大切に使われてきたこと。その道具が持つ時間を隠さず、今の席に生かすことが大事なのでしょう。
新品の道具にも、静かな形や素朴な土味から侘びを感じるものがあります。侘びは道具の年齢ではなく、その姿をどう受け取るかにも関わっているんですね。
取り合わせは道具同士の釣り合いです
取り合わせとは、茶碗、茶器、茶杓、水指、蓋置などを、その日の趣向に合わせて選ぶことです。
侘びた茶碗を一つ置けば、席全体が侘びた景色になるとは限りません。道具同士が競い合わず、どれか一つだけが強く目立ちすぎないようにします。
たとえば、土の表情が豊かな茶碗に、木地や竹の道具を合わせる。落ち着いた塗りの茶器を添える。色も形も静かなものばかりでは寂しくなる時には、菓子や茶花にほんの少し季節の色をいただく。
この加減が難しいです。
似た雰囲気の道具をそろえすぎると、かえって作ったように見えることがあります。反対に、それぞれが立派すぎると、道具が互いに自分を見てほしいと言っているようです。少し違うものを合わせながら、席全体では落ち着いて見える。そのような取り合わせが自然なのだと思います。
白露の頃には、初秋の気配を添えます
白露は、草木に露が宿り始める頃です。九州ではまだ暑い日も多く、風炉の火を遠くに感じたい日があります。それでも、月の光や萩、夜の虫の音には秋が見えてきます。
この頃の取り合わせなら、深い秋の寂しさを早く出しすぎず、夏の名残と初秋の気配を一緒に見るのがよいのではないでしょうか。
土ものの茶碗に、月や露を思わせる菓子を添える。竹の道具には、盛夏の青々しさではなく、少し乾いた秋の風情を見る。重陽の頃なら、菊の意匠を小さく取り入れることもあります。
季節のものを全部そろえる必要はありません。月の茶碗に、萩の菓子、虫の蓋置、菊の棗まで並べると、少しにぎやかすぎるかもしれませんね。月を見せるなら、ほかは静かにする。そのくらいの引き算が、侘びた取り合わせには似合うように思います。
欠けや繕いのある道具を使ってもよいのでしょうか
金継ぎなどで繕われた茶碗は、侘びた道具として取り合わせに使われることがあります。傷をなかったことにせず、その跡も道具の景色として眺めるからです。
けれども、割れや欠けが危険なままの道具は使えません。茶を安心していただけることが大切です。繕いがきちんとされ、実際に使える状態かを確かめます。
また、繕いがあるだけで季節を問わず使えるわけでもありません。色、形、由来、ほかの道具との釣り合いを見ます。傷を目立たせるために置くのではなく、その道具が重ねてきた時間を席の中で静かに受け取るのでしょう。
「地味」と「侘び」は同じではありません
色の少ない道具だけを並べると、落ち着いては見えます。それでも、ただ暗く、重たい席になることがあります。
侘びた取り合わせには、静けさの中にも生きた季節が必要だと思います。茶の緑。湯気。菓子の色。茶花の一輪。そのどれかが入ると、道具の素朴な姿もやわらかく見えてきます。
華やかさを嫌うことが侘びではありません。必要以上に飾らず、今ここにあるもののよさを見つける。言葉にすれば短いのですが、実際の取り合わせになると中々自信がありません。
長くお茶を続けても、道具を並べてから、何か違うなと思うことがあります。一つだけ外してみると、急に落ち着くこともある。不思議ですね。
侘びた道具の取り合わせとは、古く地味な品を集めることではなく、時を重ねた道具や素朴な素材を生かし、季節と席の心に合う景色を作ることです。
白露の月や虫の音のように、目立たなくても心に残るものがあります。道具も同じなのかもしれません。次に取り合わせを考える時は、何を足すかだけでなく、何を静かに引くかも考えてみようと思います。

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