樂歴代の茶碗展は、どんな展覧会だったのでしょうか
「樂歴代 −時代を超える茶碗たち−」は、京都の樂美術館で、2026年4月25日から8月26日まで開かれた特別展です。この展覧会は、すでに終了しています。以前の記事には「まだ間に合いますね」と書いていましたので、お出かけの方が間違われないよう、ここは直しておきます。樂美術館の過去の展覧会案内にも会期が残っています。
樂歴代というのは、樂家の代々の作り手のことです。この展覧会では、初代長次郎から現代へ受け継がれた茶碗と、樂家に関わりのある方々のお手造り茶碗が紹介されました。一人の作家の作品を見るのとは違って、時代を隔てた茶碗を見比べられるところに、心惹かれます。
私は会場へは伺っていません。新聞で知り、案内や写真を眺めながら、どんな茶碗なのだろうと思っていた展覧会です。ここでは、その時に惹かれたものと、手元の茶碗を通して思ったことを書いておこうと思います。
利休様から娘婿へ伝わった《万代屋黒》
案内の中で目が留まったのは、初代長次郎作の黒樂茶碗《万代屋黒》でした。利休様が娘婿に贈ったと伝えられる茶碗です。以前の記事の一つに「淀屋屋黒」と書いていましたが、正しくは「万代屋黒」です。公式の出品目録にも、この銘で載っています。京都市の展覧会紹介
長次郎の茶碗は、私は写真でしか見たことがありません。飾り気がなく、手の中にすっぽりおさまりそうに見える。その静かな姿と、利休様が身近な人へ贈られたという話が重なると、遠い時代のものが少し近しく感じられます。どんなお気持ちで渡されたのでしょうね。そこは想像するほかありません。
茶碗の銘も気になります。銘とは、茶碗などに付けられた名前のこと。作者の名とは別のものです。出品目録には《万代屋黒》の伝来として、利休、万代屋宗安、賀嶋屋廣岡家の名が記されています。誰の手を経て大切にされてきたかを知ると、一碗を見る目も変わるように思います。樂美術館の出品作品リスト
以前、茶道具の銘が気になった時にも思いましたが、名前一つから調べたいことが増えていきます。贈り物としての茶碗、持ち主から次の持ち主へ渡る茶碗。四十五年以上お茶を続けていても、こうしたことは、まだ入り口に立っているような気がします。
手で形づくられる樂茶碗と、四百五十年ほどの歴史
樂焼の始まりは、安土桃山時代の長次郎と、千利休様の茶の湯にあります。およそ四百五十年にわたり、一子相伝で受け継がれてきたというのですから、長い時間ですね。樂美術館の説明では、長次郎は利休の侘び茶の心を茶碗に表した作り手とされています。樂焼の歴史
樂茶碗は、轆轤(ろくろ)で挽くのではなく、手捏ねで形を起こし、へらで削って整えます。手で土を押し広げることと、削って形を定めること。その両方が一碗の姿につながるのですね。歴代の紹介を読むと、九代了入のように、へらによる削りに特色のある作り手もいます。樂歴代の紹介
義母からは、一碗ずつ違い、同じものは二つとないと教わりました。その頃は、そういうものかと聞いていたのですが、茶碗を手に取る回数が増えるほど、少しずつ分かってきたように思います。口の縁の厚み、胴のふくらみ、手を添えた時のおさまり。わずかな違いなのに、手は案外よく覚えているものです。
一子相伝と聞くと、同じ形を守り続けるようにも思えます。でも、代々の茶碗が同じ顔をしているわけではありません。写真や展示で見る時には、口の開き方や胴の線を比べてみるとよいと思います。名前を全部覚えようとすると中々大変ですが、好きだなと思う形なら、目に残るかもしれませんね。
覚々斎宗匠、玉三郎さん、NIGOさんのお手造り
私が表千家でお稽古をしていることもあって、六代覚々斎宗匠のお手造り茶碗には、特に心惹かれました。出品されたのは《不二之絵赤樂茶碗》。目録では、焼いたのは樂家六代左入と分かります。形を造った方と焼いた方、それぞれのお名前を見ると、茶碗を通したつながりが見えてきます。
坂東玉三郎さんの黒樂茶碗《琳》は十五代直入が、NIGOさんの赤樂茶碗《小天狗》は十六代吉左衞門が焼いたものと記されています。お手造りといっても、その方が窯で焼くところまで全部なさった、という意味ではないのですね。この三碗の作者と焼成者は、公式の出品作品リストで確かめられます。
歌舞伎と服飾の世界の方が、土に向かって茶碗を造る。最初は少し意外でした。私は長次郎も瓦を焼いていた人だったと聞いていましたが、樂美術館では三彩の技術を持つ焼物師だったと説明されています。瓦の話だけで分かったつもりにならないようにしたいです。違う仕事や表現の世界と茶碗が結びつくことには、やはり面白さを感じます。樂焼の発祥
覚々斎宗匠はどんな思いで土に触れられたのでしょう。玉三郎さんやNIGOさんは、どんな一服を思い浮かべられたのでしょうか。作品の形から何か感じられたらうれしいですが、作り手の心まで分かったとは、中々言えませんね。
遠くの展覧会から、手元の黒い茶碗へ
この展覧会を知った頃は、洗い茶巾のお点前が続く暑い時季でした。平茶碗に水を張り、茶巾を浮かべる。目で涼をいただくようで、好きなお点前です。その支度の折に手にした黒い茶碗も、静かな姿が心に残りました。指先にひやりと感じる時には、冬とは違う味わいがありました。
私の手元にも、義母から譲り受けた黒い樂茶碗があります。稽古で使うたびに、義母に見られているようで、少し背筋が伸びます。華やかではありませんが、飽きのこない茶碗です。長く使うほど手に馴染む気もします。茶碗が馴染んだのか、私の手が覚えたのか。その両方でしょうか。
義母には、茶碗は目で見るより手で覚えるものだと、度々言われていました。重さや厚み、温もりは、写真だけでは分かりません。ただ、美術館の展示品は手に取れるとは限りませんから、見える形や肌をゆっくり拝見する楽しみも大切にしたいです。「柔らかそう」と感じることと、実際の手触りは分けて考えたいと思います。
九州から京都へは、今の私には少し遠いです。ひざを痛めてから、遠出を前ほど気軽には考えられなくなりました。それでも展覧会の案内を読むのは好きです。読んだあと、稽古用の茶碗を出して眺める。名品と比べるようなものではありませんが、何十年も使った茶碗にも、私なりの時間が重なっています。
写真や案内で楽しむ時に見ておきたいこと
実物を見られない時は、一碗の写真をゆっくり眺めるだけでもよいと思います。全体の姿を見て、口の縁、胴から底へ続く線へと目を移す。黒い茶碗でも、光の当たり方で見える表情は違います。ただ、写真の色や大きさの印象だけで、重さや使い心地まで決めないようにしたいですね。
出品目録をそばに置くと、作者、作品名、銘、焼いた人を確かめられます。今回の目録には茶碗以外に灰器や香合なども載っています。茶碗から関心を持って、その作り手がほかにどんな道具を造ったのかへ目を向けるのも、楽しそうです。樂美術館の出品作品リスト
これから樂美術館へ出かける方は、過去の記事の会期をそのまま頼りにせず、公式サイトで現在の展覧会と開館案内を確かめてください。同じ「樂歴代」という言葉があっても、展示される作品まで同じとは限りません。お目当ての一碗がある方は、その時の出品案内も見ておくと安心です。
よくある質問
「時代を超える茶碗たち」は今も見られますか? 2026年8月26日で終了しています。今後の展示は、樂美術館の公式サイトでご確認ください。
茶道を習っていなくても楽しめるでしょうか? 歴代の名前や作法を覚えてからでなくてもよいと思います。口が広い、ふくらみがやさしいなど、自分の目に留まったところから眺めてみてはいかがでしょうか。
長次郎の茶碗の銘は「淀屋屋黒」ですか? 正しくは《万代屋黒》です。以前の記事の表記を訂正しました。作品を探す時も、こちらの名前を使ってください。
まとめ
時代を超える茶碗という言葉を読むと、古いものが残ったということだけでなく、受け取って大切にしてきた人がいたのだなと思います。利休様から伝わる一碗にも、お手造りの一碗にも、人と茶碗の関わりがあります。
よろしければ、公式の出品目録から、気になる茶碗を一つ選んでみてください。全部を覚えなくても、その一碗が樂歴代を知る入り口になると思います。私も《万代屋黒》の静かな姿を、もう少し丁寧に眺めてみたいです。

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