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七十二候「桐始結花」、桐の木のことが気になって調べてみました

暦の本をめくっていたら、もうすぐ七十二候が「桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)」に変わると書いてありました。

7月22日頃から27日頃だそうです。読み方からして難しい。「きりはじめてはなをむすぶ」と、口の中で何度か言ってみました。

七十二候というのは、二十四節気をさらに三つずつに分けたものだそうですね。恥ずかしながら、これも最近になって知りました。昔の人はこんなに細かく季節を分けて、暮らしの中で確かめていたのかと思うと、なんだか気が遠くなります。

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桐の花が、もう来年の蕾を

桐というと、初夏に薄紫の花を咲かせる木だと思っていました。実際そうなのですが、驚いたのはここからです。

暑さがいちばん厳しくなるこの時期に、桐の木はもう来年咲く花の蕾をつけ始めるのだそうです。

今年の花はとうに終わっている。それなのに、もう来年の支度。気が早いというか、気が長いというか。不思議な木だなと思いました。

私たちは花が咲いた、散った、それで一区切りと思ってしまいます。でも桐にしてみれば、散った瞬間からもう次が始まっている。そんなふうには考えたことがありませんでした。

桐といえば箪笥や琴を思い浮かべる方も多いかもしれません。うちにも古い桐箪笥があります。義母から譲り受けたもので、今も着物をしまうのに使っています。木の香りが今でもほのかに残っていて、開けるたびに懐かしい気持ちになります。

桐は成長が早く、軽くて湿気に強いのだそうです。だから箪笥や桐下駄に重宝されてきたと、これも本で読みました。花のことも木のことも、調べてみると知らないことばかりです。若い頃はこんなふうに気長に調べものをすることはありませんでしたが、この年になってようやく、ゆっくり本を開く楽しみがわかってきた気がします。

膝のおかげで、庭をよく見るようになりました

膝を悪くしてから、庭仕事は以前よりずっと減りました。草取りも、少しやっては縁側で休む。そんな具合です。

でも不思議なもので、動けない分、庭をじっと眺める時間は増えました。前は忙しく手を動かしていて、木の一本一本をこんなに眺めることはなかった気がします。

うちに桐の木はありませんが、お稽古に通う道すがら、大きな桐の木を見かけます。今度通るときは、蕾がついているか、車の中からゆっくり眺めてみようと思います。走って近づいて確かめるわけにはいきませんが、車の窓越しでも季節の気配は十分に感じられるものです。

庭の紫陽花も、そろそろ盛りを過ぎようとしています。水やりだけは欠かさず続けていますが、それ以上のことはできません。それでも、花の移り変わりを目で追うだけで、季節が確かに動いていることを教えてもらっている気がします。

師匠の「先を見て」という言葉

義母によく言われていたことを思い出しました。「お茶は今日のことだけでなく、先を見て支度をするものです」と。

当時は意味がよくわかりませんでした。目の前のお点前を覚えるだけで精一杯でしたから。

今になって、少しだけわかる気がします。炉のお稽古をしながら次の風炉のことを思う。風炉の盛りに、もう炉開きの支度を考える。お茶の世界は、いつも半歩先を見ているものなのかもしれません。

道具の取り合わせを考えるときも同じです。今日のお茶会のことだけでなく、次の季節、その次の季節まで思いを巡らせて選ぶ。そう教わったことを、桐の蕾のことを知って改めて思い出しました。

桐の木も、暑い盛りに来年の花のことを考えている。師匠の教えと重なるようで、なんだか嬉しくなりました。

膝の具合で、今年は思うように動き回れません。それでも、こうして庭を眺めながら、来年のことを少しずつ考えるのも悪くないなと思います。桐の木を見習って、私も気長に、先のことを考えてみようと思います。また稽古で、季節の巡りを確かめてみようと思います。

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