夕方になると、遠くで雷の音がすることが増えてきました。
空を見上げると、もくもくと大きな雲が育っています。ああ、また来るなと思っていたら、案の定、ざあっと激しい雨。ほんの十分やそこらで、また晴れ間がのぞいたりします。
この気まぐれな雨のことが気になって、暦を調べてみました。
もうすぐ七十二候が「大雨時行(たいうときどきにふる)」に変わるのだそうです。8月2日頃からとのこと。
「激しい雨が時々降る」という、そのままの意味なんですね。名前を知ってしまうと、なんだか毎日の夕立に対する見方が変わってくるから不思議です。
入道雲の向こうに
大雨時行は、大暑の末候にあたるのだそうです。
入道雲が湧き上がって、突然の夕立が降る頃。そして、この激しい雨の季節をひとつ通り抜けると、暦の上ではもう秋、立秋を迎えるのだとか。
え、もう秋なの、と思わず声が出ました。まだこんなに暑いのに。
でも考えてみれば、暑さがいちばん募る時にこそ、次の季節への支度が始まっているんですね。桐の木が来年の蕾を結んでいたのも、そういえばつい先日調べたばかりでした。
自然というのは、いちばん激しいところに、いちばん静かな変化を隠しているのかもしれません。
そんなことを考えながら、また本棚の歳時記を引っ張り出してしまいました。ネットで調べれば早いのはわかっているのですが、紙をめくって前後の候まで眺めるのが、やっぱり好きです。
大暑の候を順にたどってみると、桐の実、蒸し暑い土、そして大雨と、並んでいます。
言葉だけ見ると物騒な響きですが、順番に読んでいくと、夏がだんだん濃くなって、最後に一雨降って涼が生まれる。そういう流れになっているように感じます。
昔の人は、こんなふうに五日ごとに季節を区切って、丁寧に見ていたのだと思うと、なんだか気が遠くなります。私にはとても真似できません。
夕立とお稽古の道具
お稽古では、まだしばらく葉蓋や洗い茶巾が続きます。
この時季は、道具にも水を感じさせる工夫がいろいろあるものだと、義母によく教わりました。
「夕立の後は空気が変わるでしょう。お茶もそう、一服の後に空気を変えるものなんですよ」。義母がそう言っていたのを、雷鳴を聞くたびに思い出します。
その時は正直、何を言っているのかよくわかりませんでした。生意気にも「そういうものかな」くらいに聞き流していたと思います。
でも今、こうして一人で稽古を続けていると、ふとした瞬間にその言葉の意味が近づいてくる気がします。一服差し上げた後、お客様の表情がふっとやわらぐ瞬間。あれは、まさに夕立の後の空気に似ているのかもしれません。
まだうまく言葉にできませんが、そういう気づきがあるだけで、稽古がまた少し楽しみになります。
窓越しの夕立
膝の具合がまだ本調子ではないので、雨が降り出すと庭に出るのはあきらめます。
それでも窓越しに、雨粒が葉っぱを打つ音を聞いているのは、案外嫌いではありません。むしろ、こうして静かに眺める時間ができたのも、今の暮らしのおかげかもしれないと思うことがあります。
雨が上がると、庭の土からむわっと匂いが立ちのぼります。あの匂いを嗅ぐと、ああ夏だなあとしみじみします。
友人からも「そちらは大丈夫?」と、雷のたびに連絡をもらいます。ゆっくりとしか動けない今だからこそ、こういう一言がありがたく感じられます。
電話越しに「そっちも夕立すごかった?」と聞かれて、しばらく雨の話だけで盛り上がったこともありました。同じ空の下で、同じ雨に降られている。それだけのことが、なんだか嬉しかったりします。
大雨時行を過ぎれば、いよいよ立秋。まだまだ暑さは続くのでしょうけれど、暦の上だけでも秋という言葉に触れると、少し気持ちが軽くなる気がします。
次の夕立が来たら、義母の言葉をもう一度思い出しながら、静かにお稽古の支度を進めてみようと思います。

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