10月に入り月と水の冴える時季になりました。それと同時に名残の時期でもあります。名残りの頃の茶人の心情を表した「三夕の歌」があり、利休も殊に好んだと言われています。
三夕の歌
「さびしさは その色としも なかりけり
槙立つ山の 秋の夕暮れ」 寂蓮法師 新古今和歌集
『見渡せば 花ももみじも なかりけり
浦の苫屋の 秋の夕暮れ」 藤原定家 新古今和歌集
『心なき 身にもあわれは 知られけり
鴫立つ沢の 秋の夕暮れ」 西行法師 新古今和歌集
名残りとは
秋も深くなり炉を開くまでの期間で、初夏につんだ茶を壷に詰めて、厳重に封をし、
夏を越したものを10月下旬ごろに口の覆いを切りとり、1年間使ってきたが、残り少なくなり茶そのものに名残りを惜しむ
コメント
コメント一覧 (3件)
寂蓮法師 と 藤原定家 は結局何もないと世の無情を訴えているが、 西行は自分が理解出来ないはずだのに
鴫の発つ澤を無情だと言っている。これは大変矛盾している。これを詠むなら「心有る、身にも哀れは、知られける、鴫発つ沢の、秋の夕暮れ」とすべきだった。
寂蓮法師 と 藤原定家 は結局何もないと世の無情を訴えているが、 西行は自分が理解出来ないはずだのに
鴫の発つ澤を無情だと言っている。これは大変矛盾している。これを詠むなら「心有る、身にも哀れは、知られける、鴫発つ沢の、秋の夕暮れ」とすべきだった。
寂蓮法師 と 藤原定家 は結局何もないと世の無情を訴えているが、 西行は自分が理解出来ないはずだのに
鴫の発つ澤を無情だと言っている。これは大変矛盾している。これを詠むなら「心有る、身にも哀れは、知られける、鴫発つ沢の、秋の夕暮れ」とすべきだった。