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涼を呼ぶ掛物(禅語)|処暑の頃に

残暑の茶室で「瀧」や「清流」という字の掛物を見ると、それだけで水音が聞こえるような気がします。

掛物なのですから、本当に風が吹いたり水が流れたりするわけではありません。それでも、文字から涼しさを思い浮かべる。お茶では、そのような禅語を夏の床の間に掛けることがあります。

「涼を呼ぶ掛物」という決まった一幅があるのでしょうか?

初めの頃の私は、そう思っていました。けれども、これは一つの掛物の名前ではありません。暑い時季に、涼しい景色や風、水の気配を感じさせる禅語を選んだ掛物のことです。

目次

掛物は茶席の中心になるもの

掛物は、床の間に掛ける書や絵のことです。茶席では床の間を拝見し、亭主がどのような思いでその日の席を整えたのかを受け取ります。

茶花や花入れも大切ですが、掛物はその席の心を表すものとして、特に大切にされます。

夏なら、見た人が少しでも涼しく感じる言葉を選ぶ。冷房のなかった頃には、文字から風や水を思い、暑さをやわらげていたのでしょう。

文字で涼む。

不思議ですが、昔の人の豊かな感じ方がよく表れていると思います。

「瀧直下三千丈」は水しぶきまで見えるようです

夏の掛物でよく知られている禅語に、

「瀧直下三千丈」

があります。「たき、ちょっかさんぜんじょう」と読みます。

高いところから滝がまっすぐ落ちる、たいへん雄大な景色を表した言葉です。「三千丈」は実際の長さを示すというより、それほど高く、大きな滝だという表現ですね。

大きく書かれた「瀧」の一字だけを掛けることもあります。勢いのある筆の線を見ていると、白い水しぶきや、滝つぼから上がる冷たい風まで思い浮かびます。

同じ「瀧」でも、太く力強い字と、細く流れるような字では感じが違います。禅語の意味だけでなく、書かれた姿も一緒に味わうものなんですね。

「清流無間断」は絶えず流れる清らかな水

「清流無間断」は、「せいりゅう、かんだんなし」と読みます。

清らかな流れは絶えることがない、という言葉です。

涼しい川の流れを思わせますが、ただ水辺の景色を表しているだけではないようです。途切れずに続く仏法や、絶えず移りながら続いていく命の姿として受け取ることもあります。

私は初め、水の涼しさだけを見ていました。けれど、静かに読み返すと、流れ続けることの深さも感じます。

禅語は難しいです。

意味を一つに決めてしまわず、その日の自分がどう受け取るかも大切なのかもしれませんね。

「薫風自南来」は風を感じる禅語

「薫風自南来」は、「くんぷう、みなみよりきたる」と読みます。

香りを含んださわやかな風が、南から吹いてくるという意味です。夏の茶席によく掛けられる言葉ですが、「薫風」は初夏の季語でもありますので、使う時季には少し心を配りたいものです。

今は処暑。暦の上では暑さがやわらぐ頃ですが、九州ではまだ残暑が続きます。同じ風の言葉でも、盛夏の涼を喜ぶのか、秋近しの風を感じるのかで、受け取り方が変わってくるように思います。

掛物は、文字だけを取り出して選ぶのではなく、その日の季節や茶花、道具との取り合わせも考える。長くお茶を続けても、そこは中々自信が持てません。

禅語の意味がわからない時は

茶席で禅語を拝見しても、読めないことがあります。

達筆な書は、一字わかったと思ったら次がわからない。私は今でもよくあります。知らないことを恥ずかしく思わず、席主や先生に読み方を尋ねてよいと思います。

掛物の言葉は、辞書の意味を覚えるだけでは少し足りません。なぜこの暑い日に、この言葉を選ばれたのだろう。文字の勢いから、どのような風や水を感じるだろう。そんなふうに眺めると、禅語が少し近くなります。

涼を呼ぶ掛物とは、暑い時季に水や風、清らかな景色を思わせる禅語の掛物です。「瀧直下三千丈」「清流無間断」「薫風自南来」などがありますが、ただ涼しそうな言葉を掛ければよいというものでもありません。

席に入った方が、ほんのひととき残暑を忘れる。

そのために選ばれた一行の言葉なのでしょう。今度掛物を拝見する時は、読みに迷っても急がず、そこに吹く風を感じてみたいと思います。

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