残暑はまだ厳しいのですが、朝の風が少し違ってきました。庭の竹の葉が揺れる音を聞いていると、秋近しという言葉が浮かびます。処暑とはよく言ったものです。
先日、久しぶりに朝茶事を思いながら稽古をしました。朝茶事は、暑い季節の早朝、まだ涼しさが残るうちにお客様を迎える茶事で、朝茶とも言います。
今年初めて朝茶事の道具を出してみると、あれはどこだったかしら、こちらが先だったかしらと、たびたび手が止まりました。
中々覚えません。
朝茶事とは
朝茶事は風炉の季節に行われ、まだ日が高くならない頃に始めます。露地に水を打ち、朝の湿り気が残る中をお客様に入っていただく。炭をつぎ、懐石を差し上げ、中立ちのあとに濃茶、続いて薄茶となります。
流れだけを書けば簡単ですが、実際にしてみると難しいものです。いつもの稽古とは違い、朝の光や水の音、その時間そのものがおもてなしになるのだと思います。
師匠だった義母は、茶事はお客様を思ってするものだと度々言っていました。その頃の私は手順を間違えないことで精一杯でしたが、今になって少しわかる気がします。
久しぶりの朝の支度
今回は本当の茶事ではなく、朝茶事を思いながらの稽古です。ひざにはまだ違和感があり、急には動けませんので、早めに道具を出し、座ったままでできる支度は座ってしました。
涼しいうちにお客様を迎えることを思って支度をしていたからでしょうか。水の音がいつもよりよく聞こえました。釜の湯が静かに沸き、遠くからは蝉の声が聞こえます。
暑いのですが、朝には朝の涼しさがあるのですね。
朝茶事の「朝」
朝茶事の朝は、ただ開始時刻が早いというだけではないようです。日が昇る前後の光、打ち水の涼しさ、朝露を含んだ草木。その時にしかないものを、お客様と一緒にいただくのが朝茶事なのかもしれません。
懐石も朝に合わせ、重たくなりすぎないよう心を配ります。今のように冷房のない頃、昔の人は暑さを避けながら、自然の涼しさを上手にいただいていたのでしょう。
師匠を思い出しました
朝茶事の稽古をしながら、義母のことを思い出しました。義母は支度が早く、私はいつも後ろからついて行くだけでした。生意気にも、そんなに急がなくても間に合うのに、と思ったことがあります。
けれど、自分で支度をするようになってわかりました。お客様の前で慌てず、気持ちよく迎えるために、早くから整えていたのですね。
今回も建水を置いてから何か落ち着かず、よく見ると道具の向きが気になりました。直しては眺め、また直す。朝の稽古なのに、私だけがもたもたしています。
義母が見ていたら、何と言ったでしょうか。
きっと何も言わず、じっと見ていたと思います。それが一番こわかったです。
晩夏の一服
稽古を終える頃には朝の日差しが強くなり、やはり残暑だと思いました。それでも、朝茶事を思っていただいた一服には、過ぎてゆく夏の名残がありました。
久しぶりにしてみると忘れていることばかりですが、道具に触れているうちに少しずつ手が思い出します。今年もこの季節が来たのですね。
次はもう少し早く支度をして、落ち着いて朝の一服を点てたいと思います。

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