残暑というには、あまりにも日差しが強い毎日です。それでも処暑を迎え、朝の風にほんの少し秋の気配を感じるようになりました。庭の山紫陽花はすっかり色を失い、火鉢のメダカだけは元気です。水面に寄ってきたところをパチリ。
先日のお稽古では、少しでも涼しく見えるようにと道具を選びました。暑い暑いと言っていても、お茶の道具が涼しそうだと、不思議に気持ちまで変わります。
涼を呼ぶ蓋置
蓋置は、釜の蓋や柄杓を置く小さな道具です。お点前の中では目立たないようでいて、案外よく目に入ります。
夏になると蟹や栄螺など、水辺を思わせる形の蓋置があります。竹の蓋置もすっきりしていて好きです。小さな道具ひとつで海や川を思い浮かべる。面白いですね。
以前、蟹の蓋置を出した時、私は向きを迷って何度も置き直しました。師匠の義母から「道具には正面があります」と度々言われていたのに、中々覚えません。蟹の顔をじっと見ながら、こちらを向いているのかしらと考えたことを思い出します。
形ばかり気にしていましたが、今は、席に入った人が小さな蟹を見つけて、少し涼しい気持ちになってくださればよいのではないかと思うようになりました。
水指の水が涼しく見える時
水指は、お点前で使う水を入れておく道具です。釜に水を足したり、茶碗や茶筅を清めたあとの水を改めたりします。
風炉の暑い時季には、口の広い平水指や、木地の釣瓶水指がよく似合います。平水指は水面が近くに見え、蓋を開けた時の水の気配まで涼しそうです。釣瓶水指は井戸から汲み上げたばかりの水を思わせます。もちろん本当に井戸端にいるわけではないのに、景色が浮かぶんですね。
暑い日にガラスの水指を見た時も、わー、きれいと思いました。光が水に入り、ゆらりと見えました。ただ冷たい水を入れれば涼しいということではなく、形や色や取り合わせで「涼」を感じさせるのでしょうか?
師匠は道具を出す時、理由を長く話す方ではありませんでした。黙って見なさい、ということだったのかもしれません。その時は意味がわからず、私はお点前を間違えないことばかり考えていました。
晩夏の一服
稽古を終えてから、縁側近くで一服しました。外はまだ蝉の声が賑やかです。蓋置は小さな水辺のもの。水指にはたっぷりと水を入れました。
涼しさは、冷房の風だけではないんですね。
立秋を過ぎても九州の暑さは中々おさまりません。それでも道具の中に水辺を見つけると、秋近しという言葉を少し信じたくなります。次のお稽古では、蓋置の向きに迷わないように、もう一度よく見てみようと思います。

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