先日、新聞をめくっていたら、京都の野村美術館の記事が目にとまりました。
秋に「寛永時代の茶の湯」という特別展が開かれるのだそうです。
寛永というと、江戸のはじめの頃でしょうか。私にはあまり馴染みのない時代です。
遠い時代の茶の湯
お稽古を四十五年ほど続けていますが、正直なところ、茶の湯の歴史にはあまり詳しくありません。
利休さんの時代のことは、義母からもよく聞かされました。でも、そのあとの時代のことは、恥ずかしながらよくわかっていないのです。
「お点前だけでなく、時代のことも少しずつ知っておきなさい」
義母はよくそう言っていました。若い頃はその意味がよくわからず、生意気にも「お点前さえ覚えればいいのに」と思っていました。
今になって、少しずつわかってきたような気がします。道具ひとつ、点前ひとつにも、時代の積み重ねがあるのですね。
寛永の頃といえば、利休さんが亡くなってからもう何十年も経った時代です。その頃の茶人たちは、どんな思いで道具を選んでいたのでしょうか。気になります。
気になったので、家にある古い茶道の本を引っ張り出してみました。付箋だらけで、あちこち書き込みもしてあります。若い頃に一生懸命読んだ跡なのでしょう。中身はすっかり忘れていましたが。
ぱらぱらとめくっただけでは、寛永時代のことはよくわかりませんでした。こういうときは、図書館に行ってもう少し調べてみるのが一番だと思います。膝のこともあるので、車でゆっくり行ける範囲で探してみようと思います。
前期と後期、二度楽しめるのだそうです
この特別展、前期と後期で展示替えがあるのだそうです。
前期は九月五日から十月十八日まで、後期は十月二十四日から十二月六日までとのこと。
一度に全部を見せるのではなく、二回に分けて丁寧に見せてくださる。そういう心遣いに、なんだか嬉しくなりました。
京都はここからだと少し遠く、膝の具合もあって、なかなか気軽には出かけられません。それでも、行ってみたいものです。
写真だけでも見られたらいいのですが、道具というのは、やはり実物を見ないとわからないところがあります。釜の肌合いや茶碗の景色は、写真では伝わらないものがありますから。
稽古仲間との話
先日のお稽古で、この展覧会のことを仲間に話してみました。
「秋になったら二人で行こうか」なんて話も出ましたが、実際に行けるかどうかはわかりません。それでも、そんな話ができる仲間がいることが、ありがたいなと思います。
ひとりでお稽古を続けていると、道具の見方も自己流になってしまいがちです。仲間と話すことで、また違う見方を教えてもらえることもあります。
その仲間は裏千家を習っている方なので、同じ道具でも見方が少し違うようで、話していて新鮮です。流派が違っても、道具を大切に思う気持ちは同じなのだなと感じます。
庭の夏と、秋への楽しみ
そういえば、うちの庭も夏らしくなってきました。
草取りは以前ほどできませんが、水やりだけは欠かさずしています。椿の葉が濃い緑になって、今年も元気に育ってくれているようです。
秋になったら、この庭もまた表情を変えることでしょう。野村美術館の展示替えのように、季節もまた少しずつ姿を変えていくのですね。
そう考えると、暑い夏も少し楽しみに思えてきます。
寛永時代の茶人たちがどんな道具を愛でていたのか、秋までにもう少し調べてみようと思います。
暑い日が続きますが、お稽古では葉蓋や洗い茶巾など、涼を呼ぶ工夫をする季節になりました。水の音を聞くだけで、少しほっとします。
道具にしても点前にしても、知れば知るほど奥が深いものだと、この歳になってあらためて感じています。焦らず、少しずつ。そんな気持ちで、この夏も過ごしていこうと思います。

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